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ウンチク男たち

車にだって、二年に一度は車検があります。

古くなればなるほど点検整備が必要になり、以前は十年を越えると、二年に一度ではなく毎年車検しなければなりませんでした。

長く付き合った夫婦に必要なもの、それは"愛の車検"です。

何故だかこの頃ギスギスしている!

「やればできるじゃない」という言葉があります。

とりたてて深い意味はないと思っていたのですが、それがそうでもないようです。

少なくとも、私の場合、言う相手によってかなり意味が違っていると、先日、ふと気づきました。

息子に言う時、それは励ましの思いが籠っています。

漢字の書き取りや部屋の掃除、自転車の練習など、彼が苦手とすることができた時、私は「やればできるじゃない」と、言います。

当然のことながら、息子は嬉しそうに笑います。

「まあね、本気出せばざっとこんなもんよ」と、照れながら威張ったりもします。

けれども、夫に対する時は、ちょっと意味が違ってきます。

情けない話なので、あまり言いたくはないのですが、皮肉をこめて使っていることが多いように思うのです。

例えば、彼が大学の研究室ではかいがいしくコーヒーをいれると知った時や、知人のバースデーにポケベルで"おめでとう"のメッセージを入れている最中などに、私はつい言ってしまうのです。

「ふーん、やればできるじゃない」と。

ここには励ましの気持ちなどみじんもありません。

ただ単に「うちではやってくれないくせに」、「私の誕生日なんて思い出したこともないくせに」という愚痴が続くのをかろうじておさえているだけです。

先日も「やればできるじゃない」を言った後、私は激しい自己嫌悪に陥ってしまいました。

「うう、私もただの愚痴っぽいおばさんになっているんだなあ」と、かなり悲しかったのです。

けれども、これは私だけに言えることではありません。

同じ台詞を結婚相手に言ったのが原因で、喧嘩になったカップルもいます。

先日、わが家に遊びに来たカップルが、私の前で喧嘩を始めました。

コーヒーカップを片づけようとした彼に、彼女のほうが「へえ、あんた、普段、そんなことせえへんのに。

やればできるやん」と言ったことがきっかけになったのです。

彼女からすれば、外面ばかりいい彼に腹を立てていたのでしょう。

私もときどき同じような気持ちになりますから、よくわかります。

けれども、彼からすれば、単にカップを片づけただけなのに、そのような嫌味を言われる筋合いはないというわけです。

彼女がなぜ怒るのか、見当もつかなかったに違いありません。

このカップルに限ったことではなく、付き合い始めてしばらくたつと、人は恋人の前ではつい油断するようになります。

デートをし始めた頃は、相手の心の動きに細かく気を使っていても、二人の親しさが増すにつれて、だんだん、相手に甘えるようになってきます。

それだけ相手に気を許しているということなのでしょうが、時として腹が立つ、いや、時としてではなく、しょっちゅう腹が立つ状態になってしまうわけです。

一番いい顔、一番おしゃれした姿、一番やさしいふるまいは、本来、恋人のものであるべきでしょう。

けれども、付き合いが長くなると、恋人にさらすのは、疲れてヨレヨレの顔、楽が一番という服装、そして、ぞんざいなまでに図々しいふるまいというのが多くなっていきます。

これでは、片方の眉毛を上げ、嫌味を込めて、「やればできるじゃない」と言いたくなるのも、仕方がありません。

けれども、外では恰好つけている恋人が自分の前ではボロボロのヨレヨレでいる時、腹を立てる前にちょっと考えてみましょう。

彼はあなたの前だからこそ、弱味を見せているのではありませんか。

あなたがスッピンの素顔を彼にだけ見せるように、彼が心のヌードをさらすのは、あなただけなのではないでしょうか。

ほら、よく言うでしょう。

犬は心を許した飼い主には、柔らかいお腹をさらすけれど、警戒している人には、たとえ頭をなでられても、決して腹部は見せないものだと。

彼も同じで、人には見せない恰好悪い姿や柔らかな部分をあなただけにさらしているのかもしれません。

できることなら、「やればできるじゃない」という言葉は、誰かを励ます時だけに使いたい、私はそう願うようになりました。

以来、自分が嫌味っぼくなっているなと感じると、私は自分自身に言うようにしています。

「大丈夫、やればできるわ。『やればできるじゃない』って、皮肉っぼく言わないようになれるわ」と。

自分に足りないものを補いムロえたら……

ウンチクを傾ける時は、勇気が必要です。

「煙たがられるかもしれない」とか「うるさそうだと思われやしないか」とか「知ったかぶりしていると思われたらどうしよう」等々、つい心配ばかり先に立ってしまいがちです。

相当、神経が太い人でも、ウンチクを披露した後は、「いやあ、出すぎた真似をしてしまったようですねえ」などと、頭をかいたりしているところを見ると、ウンチクを傾けるのは、男女を問わず、なかなか難しいことなのでしょう。

けれども、人は自分にはできないことをしたり、自分が知らないことを知っている人に対して、尊敬の念を持つものだと思います。

特に、「この件に関してはたいていの人より詳しい」と言いきれるような何かを持っているのは、たまらなく魅力的です。

先日、友達と電話で話していた時に、その話をすると、「アッコって、オタクが好きなんだね」と、呆れられてしまいました。

ちなみに、彼女は人前でウンチクを傾けるような男は大嫌いだそうで、私の趣味など、まるで理解できないと言います。

「別に特にオタクを好んでるとは思わないけど」と、不平を言うと、「じゃあ、どんな男が好きなの。

好きなタイプ、言ってみて」と、切り返されてしまいました。

これまで自分が特にオタク好きだと思ったことはありません。

けれども、一つのことに秀でていたり、ある特定のことにやたらと詳しかったりするのをオタクというなら、確かに、私はオタクが好きなのでしょう。

自分ができないことをしたり、自分が知らないことを教えてくれる人に弱いのですから。

けれども、カップルはお互いの足りない部分を補うものです。

完壁な人間なんていませんから、自分に欠けている部分を補ってもらいたいと思うのは、私だけではないでしょう。

「ウンチクを傾ける人なんか嫌い」と言いきった友達にしても、結婚相手には自分ができないことをする人を選んでいます。

機械音痴な彼女とは違い、彼は家庭にある電気器具の配線を易々とやってしまうような人なのです。

ですからもし、あなたに好きな人がいて、その人の心を自分にひきつけたかったら、相手のできないことをしてみせればいいと、私は思います。

会議録をきちんとまとめたり、部屋を綺麗に片づけたり、語学が堪能だったり、彼が考えつかないようなアイデアをひらめかせたり、イライラしがちな彼の神経をほぐすようなのんびりした雰囲気を持っていたりとか、何でもいいから、とにかく相手のできないことをしてみせればいいのです。

相手をサポートし、相手にサポートされる、そんな関係が築けたら、これぞ理想のカップルということになります。

好きな人に対してだけは、おそれることなく存分にウンチクを傾けてしまいましょう。

最初は驚かせてしまうかもしれませんが、彼があなたの話に興味を持っているようなら、ちゅうちょしていてはいけません。

ぐんぐん前進すべきです。

そのうち、あなたは愛しい相手の瞳の中にハート形の光がともっているのに気づくことになるでしょう。

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